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人には言えない、誰にも知られたくないことも、
今宵なら素直になって伝えられそうな気がする…ノエルの夜。


大広間の入口横に飾られていたのは、この屋敷一背の高い従僕よりも大きい樅の木…
その冬枯れしない常緑は永久不滅の繁栄を象徴し、
枝には生命の貴さを表したリンゴが色合いよくたくさん吊るされていた。
薄闇のなか、その下に佇むちいさな人影があった。


夕暮れから本格的に降りだした雪は夜半過ぎのいまなお止む気配はなく、
少女の瞳に映る窓越しの庭園はすでに白銀の世界に変わっていた。
雪はときおり塊となって、綿毛のような様相でふわふわと漆黒の天空から舞い降り、
彼女にはそれが純白の羽根に見えて仕方がない。
少女はたまらず、先ほど書き上げたカードを持って夜着のまま部屋を出た。

大広間は静かだった。
賑やかだった宴の名残りを示すのは、天井から吊るされたヤドリギと入り口横のツリー、
それを囲むように置かれた数々の贈り物やノエルのカードだけだった。

しばらくツリーを見上げていた少女らしき人影は、
手に持っていたものを束にして置かれていたノエルのカードのなかにそっと紛れ込ませた。
そして祈るように手を組み、エメラルドの瞳を閉じた…
      

泰平の世にも、荒れ狂う情勢のなかであっても、毎年ひとびとにノエルの日は必ず訪れる。
その度に、少女だった彼女はきっと自分が羽根で書いた願い事を思い返すことだろう。
そして後に知るのだった。
それが永遠に叶ったのだということも。






「…そう言えば、あの娘の願いは何だったのだろう」

開け放たれた窓から届く夏の夜風は存外涼しくて、熱った素肌に心地よかった。
寝台にうつ伏せて、何気なく掻き抱いた枕から
小さな羽毛が布地の合わせをすり抜けて飛び出したのを見て、
オスカルは思い出したように呟いた。

「…それには心当たりがあるぞ」

隣で同じようにうつ伏せて横たわっていた男が、彼女の金糸の髪をもてあそびながら応じた。

「昨年のノエル明けに私文書を焼却処分しただろう?
そのとき宛名の無いカードがいくつかあって、一応内容を確認していたら…」

数年前の封書たちに混じってあったそのカードの筆跡は幼い頃の姪のものだった。
正規のペンではないもので書かれたらしく、インクの濃淡が激しいうえに
所々かすれていて読むのに苦労したことをアンドレは語った。

「それで、何が書かれてあったのだ?」

「教えてもいいが…」

男は意地悪く交換条件を出した。

「代わりにおまえが昔、羽根で願ったことを教えてくれ」

「狡いぞ。おまえの願いだってわたしに教えてくれなかったではないか」

「人に話すと叶わなくなると思っていたからな…それに」

男の右手が彼女の髪をゆっくりと掻き分けて、愛しく頬を撫でる。

「まさか、本当に叶うとは思わなかったから」

「叶ったのか?」

オスカルが目を輝かせて驚く様子を、アンドレには見えずとも容易に想像できた。

「いつ叶ったのだ?いや、それよりどんな願い事をしたのだ」

羨ましさと焦れったさの混じった声でねだられて、男はあっさり白状した。

「叶ったのはさっきだ」

「さっきだと?」

訝しむ彼女の耳元に、自分が遠い昔に羽根で書いた願い事を囁いた。


『かわいいお嫁さんをもらって、
お父さんとお母さんみたいにいつまでもなかよく暮らせますように』


その内容に、オスカルは言葉に詰まって暫し声が出なかった。
そして躊躇いながらようやく反論した。

「それは…まだ完全には叶っていないのではないか?」

「後半はな。だがそれはおれの努力と愛情でどうにでもなる。
叶ったも同然だろう?」

自信満々で受け合うアンドレに、オスカルは苦笑する。
「…前半にも不備があるようだが」

「おれはいつもそう思ってきたよ。
それに今夜のおまえは、今まで見てきたなかで一番可愛らしいぞ。
とくにさっきはおれの腕の中で…うっぷ」

最後まで言わせず、オスカルは真っ赤になって羽根枕を男の顔に投げつけた。
綿毛のように中身の羽毛が飛び散り、ゆっくりと空中を舞った。




「…では、わたしの願いも叶ったということか」

男の顔や髪についた羽毛を取ってやりながら、オスカルは微笑む。
アンドレは瞳を閉じて聞いていた。


「わたしは新しい羽根を手に入れる度に内容を願い直していた」

子供の願い事など、興味が変われば瞬時に変更されて然るべきだろう。
だが彼女の場合は願いに一貫性があった。


アンドレが引き取られてくるまでは
『一生付き合えるような友達ができますように』

それは女でありながら家督を継ぐ者に課せられた責務と
特殊な環境であるがゆえの切実な欲求であったとも言えた。


彼が来てからは
『アンドレがずっと友達でいてくれますように』


そして数年前、姪に付き合って手に入れた羽根で書いた願い事が

『アンドレがずっと傍にいてくれますように』

もちろん、羽根の力だけに頼ることはしない。
そのために、自分は何があっても彼を信じようと決心した。


大切だからこそ、相手の幸せを一番に考える…

エレーヌにはそう言ったものの、
自分がアンドレと離される日が来るなど考えたことも無かったのだ。
彼女に、自分が示した彼への絶対的な信頼を問われたとき、
何の疑いもためらいもなくそう確信していた。
親愛なる者に去られたばかりの姪には、
自分たちの関係が奇異に感じられても仕様がないだろう。

そして、エレーヌが羽根にどんな救いを求めていたとしても、
願いを叶えるのは自分自身の力なのだと気づかなければ意味がないのだった。



「アンドレ…おまえの願いは最初からずっと変わらなかったのか?」

彼の願い事が自分と出逢う前から決まっていたことに、オスカルは複雑な気持ちになった。
その願いは、相手が自分ではなかったらもっと早く叶ったのではないのか。

「おれが望んだのは、かわいいだけの嫁さんじゃないよ。
親父とおふくろのようにお互いを思いやって、慈しみ合っていける相手だ。
おまえと出逢った後も願いが変わらなかったのは、変える必要が無かったからだ。
おまえでなければ、おれの願いは叶わないままでよかったんだから…
だから、そんな顔をするな」

無言になってしまった恋人の心情を察して、アンドレは笑って抱き締めた。

「そんな顔って、おまえは見えていないじゃないか」

瞳を閉じたままの男にオスカルは文句を言ったが、
彼の胸に埋めた顔には笑顔が戻っていた。

「おまえのことは、見えていなくてもわかるさ」

そう断言して、アンドレは右の瞼を開いた。



「やはり似ているんだな…」

男は過ぎ去った日々を追憶した。
少女の姿に、幼いオスカルの幻影を見ていた。
似た面差しそのままに成長し、そして今年花の季節に嫁いでいった愛すべき姪御殿。
似ていたのは姿貌だけではなかった。

「われらがエレお嬢様の願い事は、おまえと同じだったよ」


叶うはずだ。
誰もが、同じ事を羽根に願っていたのだから…




本当に大切な、たったひとつのお願いをするんだよ。
願い事はそう簡単には叶わないんだからな。

でも叶えたい望みがあり過ぎて…


お嫁に行ったお気に入りのコレットには幸せになってほしい。
最近夫婦喧嘩が増えたお父様とお母様にはもっと仲良くしてほしい。
ジャルジェのおじい様とおばあ様にはふたりとも元気で長生きしてほしい。

そして、大好きなオスカルお姉ちゃまとアンドレが…



願える望みはたったひとつ。
それなら――

心優しい少女は一生懸命考えて願い事を書きました。



『わたしの大切なひとが、大好きな人とずっと一緒にいられますように…』






(Fin)



跋文
今回、物語のモチーフをご提案いただいたうえに素敵な挿し絵まで描いてくださいましたM74☆様。
お忙しい中でのアップ作業と愛らしい羽根のイメージイラストによる装丁を施してくださいました白ばら様。
そして最後までお付き合いくださいましたあなたに、最大級の感謝を捧げます。
皆様に、エレーヌが願った羽根の奇跡が舞い降りますように…


にゃあ&みかん


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ROSE PARC 白ばら

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